ART FAIR ASIA FUKUOKA 2023
2023.09.22 – 09.24
ONISHI SHUYA
『我々が無垢なものに対して抱く感情、それはとても危ういものを孕んでいるのかもしれない。我々はこれらを見た時に、無意識に何かをぶつけ、消費しようとしている。作家がモチーフを扱うとき、ひいては人が何かを欲望するとき、その対象へ一種の無垢さ故の付け入る隙を探している。嗜虐心やキュートアグレッションはいかにも危険であるが、ポジティブな感情にも、それと同じ匂いを感じるのは私だけだろうか。
表現すること自体を表現する、提示すること自体を提示する。あるいは、表現しないことを表現する、提示しないことを提示する。これらの試みは、両義性の間や、具体性と抽象性の間で彷徨う肉体自体を肯定するための試みであり、なんの意味も目的も持たずにただやっていくこと自体を肯定するための試みである。それは、ただ死んでいない状態の肯定であり、頭の中にある完成象や、完成した物自体を排除していくことであり、カオスな状態を整頓せずに提出することである。そのため、衝動的な身体の動きを頼りに制作していることが多いが、それは無意識の探求では無い。』 大西秀哉