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鳥井雅子 展: 花が降り、雪とまじり、水面になる

2024.03.11 – 03.23

3月11日(月) から23日(土) の会期で、鳥井雅子展『花が降り、雪とまじり、水面になる』を開催いたします。
その植物は現実ではあり得ないこの世に浮かび上がる。すでにこの世が現実なのか夢なのかわからないが、果たして夢の方が本当の現実なのかと思わせるような鳥井の世界観。ぜひご高覧くださいませ。



作家コメント:
知らない道を溌剌と歩く。
時には知らない道をざくざくと歩く。
花が咲いている。
花は、目に大きな明るい光の重なりとなって、向こうから飛び込んでくる。
花は砂浜のひとつぶの砂のように散らばって、 私は注意深く目を凝らして、砂と花を見わける。
空をながめる。
雲が雪となり、ちぎられて、ゆっくりと落ちてくる。
足元の花と雪がひとつになって、溶けてまじりあい、新しい見た事もない様な花になる。
やがて、雪は溶けて、花は水面をおおいつくし、 水はなみなみと花の周りから湧き出て湿地となり、湿地は海の水と交じり合う。
私はいつのまにか、海の底の花を探しながら、溌剌と、時には疲れてトボトボと歩く。



『記憶の中のまなざし – 安來正博』  

日々、何かに追い立てられているような不安な気持ちになる。何かをしていないと世の中から置き去りにされていくような焦燥感に苛まれる。何もなかった一日、何もしなかった一日は、時間を浪費してしまったような後悔に襲われる。
われわれは、果たしていつからこんな生き方をするようになってしまったのだろう。あるいは、人間は年を取るに連れ、つまり人生の残り時間が少なくなっていくに連れ、こうした感傷的な強迫観念に囚われるようにできているのだろうか。
しかし、年寄りだけでなく最近では若い人たちまでも、人生というレースの生き残りをかけて脇目も振らずに駆け出しているように見える。目に映る何気ない日常の光景は、役に立たない意味のない映像として右から左へと流れ去り、一切痕跡を残さない。こうして、例えばある日、岸辺をたどりながら貝殻を拾った思い出や、ゆっくり歩き、ゆったり過ごした午後のひと時は、なんの関心も寄せられることなく、やがて忘却の彼方へと押しやられていってしまうのである(註)。ただ、生き残るために必要な情報だけを抽出し蓄積していく現代人の姿がそこにある。 鳥井雅子は、そんな置き去りにされた記憶の断片を拾い集める。それは、ささやかな個人的経験であり、儚い世界の片隅の光景といえよう。
しかし、鳥井の手に掛かると、そんな何の変哲もない景色が、世界を覆うあらゆる色と形で溢れ、煌めく光の洪水になる。植物はその色彩の鮮やかさと形状の複雑さを競い、水や大気が一体となって無重力空間を漂う。それは、かくも魅惑的な美の世界に取り囲まれながら、それらに何の価値を見出すこともなく、いたずらに無味乾燥な毎日を送っているわれわれに対する警鐘のようにも思える。
もちろん、そのことに気づいたからといって、世の中がどう変わるというものでもない。けれども、何かの瞬間にそのイメージがわれわれの歩みを止めさせることがある。突然、心地よい風が身体をすり抜けていくようなその束の間、人は生きている自分を実感するだろう。 この世界は割り切ることのできない混沌であり、想像を超えた謎に満ちているものだと絵は語る。せわしない日々の中に、それでも生きるに値する時間が流れていることを、鳥井の絵は垣間見せてくれる。
(やすぎまさひろ 国立国際美術館研究員)

(註)《貝殻を拾う》は2017年の、《岸辺をたどる》、《ゆっくり歩く》、《ゆったりすごす》は2020年の個展出品作品。



鳥井雅子 展『花が降り、雪とまじり、水面になる』
3月11日(月) – 3月23日(土)
14:00 – 18:00
土曜日 – 17:00
日曜日休み