Alternative Selection3 -Tricolore-

Alternative Selection 3

“Tricolore”

2020.04.08 – 04.25

Alternative Selection 3 は、コウイチ・ファインアーツの異色の3人を取り上げます。
トリコロールのようにそれぞれの色を持ちながら、トリコロールの旗のように軽やかな作品をどうぞご高覧くださいませ。
近藤崇は、CILANDSIA(チランドシア)のレーベルのデザイナーとして活躍している。
実家がチランドシアの花を育てられていて、デザインにはチランドシアの花がモチーフとしてよく使われている。アパレル商品についてはご存知の方もおられると思うが、今展では商品と共に作家としての新作もご紹介する。
それらは不思議な作品だ。シルクスクリーンに、写真、ペィンティングにデザインを加えられ、さり気ないセンス、オシャレ感がある。衣服で見られるデザイナーとしての技術、感性を、まるごとキャンバスに投影させているかのようだ。また、キャンバスだけでなく、Tシャツ等の素材にシルクスクリーンを施した作品もある。チランドシアの花々が見え隠れしながら、立ち姿が美しく斬新な作品だ。
 
『今回の作品はシルクスクリーン、写真、ペインティング、又はデザインなど様々なジャンルの間にあるような作品を、と思い制作しました。
素材としてはシルクスクリーン用の版下フィルムや主に衣服に使われるファブリックを使用し、染色やレイヤーなど衣服を制作する際の手法も取り入れながら組み立てをしました。
例えば、透け感のあるシフォン生地やプリンター又はシルクスクリーンを施したフィルムを重ねることにより、モチーフや抽象的なペイントが混ざり合い立体感を以て画面を構成しています。』近藤 崇
奥田耕司は、3Dプリンターでプラスチックの支持体を作り出し、それらの部品を組み合わせて作品を作り上げる。
しかし「猫を捻る」と言う、誰もがプッと吹き出してしまう奥田のユーモラス極まりない作品は、3Dプリンターで出力した支持体に単に色を塗って組み立てただけではない。見つめ合える猫の目を作る為に、仏師に教えを乞うたのだ。実はとてつもなく時間がかかり、恐ろしく手の込んだ作品である。今展では、杉尾信子とのコラボレーション新作が登場する。
また「猫はワープする」と言うコンセントと合わせる作品を作る為に、電気工事の資格を取得した。
元は、嵯峨御流の生け花の作家でもある。
大変器用で多彩な上、常に進化を続ける奥田のあくなき挑戦と、しなやかな感性が同時に存在する作品は、観るものに驚きと癒しを同時にもたらす。
 
『これを書いている今、私の足元には2匹の猫がいる。昔住んでいた家の床下でいつの間にかみゅうみゅう鳴いていた子猫と、道端で目ヤニだらけの顔を向けめえめえ鳴いていた子猫は、当時からは考えられないほど大きく育った。姿は勿論、それ以上に態度が大きい。
 
彼らと暮らして思うのは、「猫は役に立たない」いうことである。つまり、仕事の邪魔をする。そして要らんことをする。家での行動のほとんどすべてが要らんことである。
 
小さな頃から育てているためよく懐いているし、トイレや爪とぎなどの良く言われるようなトラブルは無い。けれど、気づけば段ボール箱の角っこを噛んでちぎったり、ゴミ箱にセットしたビニール袋のはみ出ている部分をかじったりする。水飲みの皿を前足でちょいちょいとして床に水をまき散らしたりもする。
穀物をネズミから守るという「役立つ仕事」は此処にはない。溺愛する人もいれば嫌悪する人もいる。ネズミを捕る必要のない環境の猫は、どこか現代アートを彷彿とさせる。
 
猫の作品を作り始めるきっかけはオシッコに濡れた布団であった。猫トイレが掃除されていなかったことに怒っての抗議行動なのだが、この反乱が効果的と理解したのかしばらくの間は気に入らないことがあると布団にオシッコをするようになったのである。
 
これを題材として猫とペッパーミルを組み合わせ「猫をねじる」という作品を作った。テーブルの上を散歩している猫を捕まえてかまうと、お皿の上の食事に猫が仕返しをするという作品である。ちょうどそのとき世間は猫ブームだといわれていて、猫を飼う人が増えているなんて報道されていた。猫ってこんなこともするのだけれど、あなたは許せる?そんな思いを作品にしてみた。
 
猫を観察していると面白くなって、その習性や行動を作品にしてみたくなった。
「Cat Rider」は鯛に乗る恵比寿天のイメージと、夜になると走り回る猫の習性から暴走族のイメージを重ねて作品とした。
「猫はワープする」は気が付けばすぐ傍に居たり棚の上に居たりと家中を自由に移動する猫の様子と、家の中でも色々なところにあるコンセントと合わせることで作品とした。
 
今回制作した「猫もたまには役に立つ」では、猫の役に立つ・役に立たないという評価はその人のとらえ方や考え方で変わってくる。ネズミと猫と人間の関係が、人間の生活環境の変化で移ろうように。作品では猫を上半身と下半身に分け、それを磁石で繋いでいる。ねじって楽しむ人もいれば、メモを冷蔵庫に止める人もいるかもしれない。壁に画びょうを刺してくっつける人もいるだろう。どのように関わるか、どのように評価するか。人それぞれで変わってくる。やっぱり猫は、まるで、現代アートのようではないか。』奥田 耕司
杉尾信子は、まず頭を空っぽにし、無の状態で耳をすます。
冷蔵庫から微かに聞こえる電子音、遠くに響く子供達の声、突然に風が何かを鳴らす音。
耳から入ってくる様々な生活音だけではなく、時には敢えてラジオを聴きながら、ひたすら線を走らせていく。
次第にその線は密度を高めて積み重なり、キャンバスの上で形づくられ絵となっていく。
予め思案し捻り出されたものではなく、風に吹かれた線がキャンバスの上に撒き散らされたような、ただそんなふうに制作されたものである。しかし、絵にはドラマがあり、風景があり、ある時は風が吹いていたり、あたたかな太陽が照っていたり、何人もの人々の賑やかな会話を感じさせるように、線に命が吹き込まれ、杉尾信子の絵となっていくのだ。
 
『頭をできるだけ空っぽにして、手の動きに任せて線を描く。
動き出した線が、画面の中に蓄積されて一枚の絵になっていく。
新しい発見をしたくて、今日も描く。』杉尾信子

– 近藤崇 オンラインギャラリー –
https://kouichifinearts.com/takashi-kondo_trico/

– 奥田耕司 オンラインギャラリー –
https://kouichifinearts.com/takashi-kondo_trico/

– 杉尾信子 オンラインギャラリー –
https://kouichifinearts.com/takashi-kondo_trico/

– ART SCENES –
https://art-scenes.net/ja/galleries/321?fbclid=IwAR2vC7vUF1ccOq4CJRAtyNiCrAKYuHg-77sZgicZ_FaUWsisdjjDH4WbJb8